問題解決への苦難の10年間

●こんな歴史がありました。

昭和48年、ニ代目平賀秀夫は「タカラヤクリーニング」を引き継ぎ、「早く、安く、きれいに」を信念とした「タカラヤクリーニング」は、お客様の信頼を得て順調に売り上げを伸ばしクリーニング店としての実績をあげ、昭和54年法人化した。
  昭和54年「ホワイト急便」設立メンバーとして参加、その急成長に多大な貢献を果たすが、経営理念の違いにより脱会、「ざ・ほわいときんぐ」として再出発し、10万人のお客様を獲得するまでに成長した。  

●クリーニング業界の矛盾と問題点

  順調に業績を伸ばしていく会社ではあったが、このころ私どもはクリーニング業を営む者として常に矛盾点との葛藤の日々であった。
  例えば、現状のクリーニング店の価格では、背広上衣だと200円からデラックスと称する1、500円までお店により様々です。しかし、価格によって「しみ・汚れ」が確実に落ちるわけではない事は、お客様にとって矛盾です。
  また、お店にとっては、衣類の「汚れ」と「しみ」の作業は、まったく別のものですが、現状は、きめられたクリーニング価格の中で両方、要望されています。作業に時間がかかったからといって、別料金をいただく事ができないということがあります。
  これらの矛盾を解決するは、新しい技術とシステムが必要で、どのお店にとっても共通の難しい問題だった。
  また、時代のニーズは「安く」から「もっときれいに」と変わってきているにもかかわらずそれに対応する事が出来ませんでした。私どもはこのような状況に自戒し何とかしたいと、思い続けていたのです。

●平成7年「株式会社ホワイトマジック」設立

  お客様のご要望を素直に受け入れ、技術開発を開始、10年間という歳月を経て、特許技術とシステムを完成させました。
  このシステムは「クリーニングからクリニックへ」の発想を基に、「汚れをおとす洗い」と「しみやトラブルへの治療を行うクリニック」を区分し、現在のクリーニング技術では不可能とされている「しみ・汚れ」を確実に取り除く事ができます。

●業界全体の発展のために・・・

  私どもが、抱えていた問題は業界全体の共通の問題でした。 お客様へのサービス向上のために、他店の皆様とも協力関係を持ちながら、業界の発展のため、貢献したいと考えています。

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